広島高等裁判所松江支部 昭和50年(行コ)1号 判決 1976年10月08日
鳥取県米子市皆生二、〇三五番地
控訴人
有限会社なぎさ園
右代表者代表取締役
末次茂
右訴訟代理人弁護士
山崎季治
同
山崎素男
同
岡邦俊
同
小林芝興
同
近藤俊昭
同
谷口亮二
同
水上学
同
芳永克彦
広島市上八丁堀六の三〇
被控訴人
広島国税局長
藤仲貞一
鳥取県米子市西町二二番地
同
米子税務署長
窪野鎮治
右被控訴人ら指定代理人
大野隆宏
同
小島正義
同
筧康生
同
松田昭義
同
松尾義彦
同
重村誠
右当事者間の行政処分取消・法人税更正処分取消等請求控訴事件につき、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一、当事者の求める裁判
(一) 控訴人
1 原判決を取消す。
2 被控訴人米子税務署長(以下「被控訴人署長」という。)が控訴人に対し、
(1) 昭和四〇年九月一日から昭和四一年八月三一日までの事業年度の法人税について、昭和四四年一〇月三一日なした所得金額一〇七万六、〇八六円、法人税額三一万〇、六〇〇円とする更正処分(ただし、昭和四四年一一月八日税額を二九万八、二〇〇円に減額更正した。)のうち、所得金額九九万六、〇九九円、法人税額二七万四、六九〇円を超える部分
(2) 昭和四一年九月一日から昭和四二年八月三一日までの事業年度の法人税について、昭和四四年一〇月三一日なした所得金額一〇三万八、六〇九円、法人税額二九万〇、六〇〇円とする更正処分(ただし、昭和四四年一一月八日税額を二八万四、六〇〇円に減額更正し、さらに昭和四五年三月六日所得金額を七五万五、七五三円、税額二〇万五、四〇〇円に減額更正した。)のうち、所得金額六五万〇、六五五円、法人税額一七万六、〇〇〇円を超える部分
(3) 昭和四二年九月一日から昭和四三年八月三一日までの事業年度の法人税について、昭和四四年一〇月三一日なした所得金額八七〇万二、八五二円、法人税額二七五万六、〇〇〇円とする更正処分(ただし、昭和四五年三月六日所得金額を八二三万七、三三七円、税額を二五九万三、八〇〇円に減額更正した。)のうち、所得金額三一六万八、七六二円、法人税額八三万七、一〇〇円を超える部分並びに過少申告加算税(八万七、四〇〇円)賦課決定処分
(4) 昭和四三年九月一日から昭和四四年八月三一日までの事業年度の法人税について、昭和四五年六月三〇日なした所得金額一、〇〇五万七、〇八六円、法人税額三二二万二、〇〇〇円とする更正処分のうち、所得金額二四四万三、四〇三円、法人税額六一万七、一〇〇円を超える部分並びに過少申告加算税(一三万〇、二〇〇円)賦課決定処分をいずれも取消す。
3 被控訴人広島国税局長(以下「被控訴人局長」という。)が控訴人に対し、昭和四五年三月二八日付でした右(1)ないし(3)の各更正処分に対する審査請求を棄却する旨の裁決をいずれも取消す。
4 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」
との判決
(二) 被控訴人ら
主文同旨の判決
二、当事者双方の主張及び証拠関係
次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決二一枚目表四行目の「同第一七ないし第一九」を「同第一七号証、同第一八号証の一ないし三、同第一九」に、同三九枚目の「備用部分」を「借用部分」にそれぞれ訂正する。)。
(一) 控訴人
甲第二七ないし第二九号証、同第三〇、第三一号証の各一、二、同第三二ないし第三六号証を提出し、当審証人末次忠太郎・同船守清史・同末次忠良・同寺尾修・同岡野毅・同川嶋弘・同押本祐次の各証言、当審における控訴会社代表者末次茂尋問の結果を援用し、乙第二一号証、同第二二ないし第二六号証の各一、二の成立(ただし、乙第二一号証については原本の存在及び成立)を認めると述べた。
(二) 被控訴人ら
乙第二一号証、同第二二ないし第二六号証の各一、二を提出し、甲第二七号証、同第三一号証の一、二の成立を認め、同第二八、第二九号証、同第三〇号証の一、二、同第三二ないし第三六号証の成立(ただし、甲第三〇号証の一、二、同第三五号証については原本の存在及び成立)は知らないと述べた。
理由
第一、被控訴人局長に対する各請求について
当裁判所も控訴会社の被控訴人局長に対する各請求は棄却すべきものと判断するが、その理由は、原判決理由中関係部分(二一枚目裏八行目から二二枚目表一〇行目まで)の説示と同一であるから、ここにこれを引用する。
第二、被控訴人署長に対する各請求について
一、請求原因一及び二1の各事実は当事者間に争いがない。
二、そこで、被控訴人署長がした本件各課税処分の当否について判断すべきところ、本件の争点は、同被控訴人がした控訴会社主張の賃借料支払分の否認及び営業権償却分の否認の各適否に帰するので、以下これらの点について検討する。
(一) 賃借料支払分の否認の適否について
被控訴人署長は、本件旧館部分が控訴会社に譲渡され、その所有権が控訴会社に属することを前提として、賃借料支払分を否認した旨主張するので、右部分の所有権の移転の有無について検討する。
1 成立に争いのない甲第七号証、乙第三号証、原審における控訴会社代表者末次忠太郎尋問の結果(第一回)により真正に成立したと認める同第一〇、第一一号証、証人船守清史(原審第一、二回)・同末次忠良(原審第一回)・同末次忠太郎(当審)の各証言、原審における控訴会社代表者末次忠太郎(第一、二回)・当審における控訴会社代表者末次茂各尋問の結果によれば、訴外会社は、代表者を末次忠太郎とするいわゆる同族会社であり、もと林業部と旅館部の事業を併せ行つていたが、林業部は事業不振のため昭和三四年前後から休業状態となつており、昭和四〇年三月三一日に終る事業年度において、林業部と旅館部の決算を分離して、いわゆる事業部制を採用し、右同日現在の訴外会社の貸借対照表に本件建物全部(その帳簿価額は五四一万五、八三九円である。)を旅館部の資産に計上していたところ、林業部を境港市の木材センターへ進出させてその再建を図るに当り、低開発地域工業開発促進法(以下「開発促進法」という。)の適用を受けて地方税に関する特典を受けるため、法人税について青色申告の承認を受ける必要があり、当時青色申告が認められる状態になかつた旅館業(旅館部)の事業を分離する必要を生じ、昭和四〇年六月二三日忠太郎を代表者として同族会社である控訴会社を設立したこと、控訴会社は設立以来訴外会社旅館部が使用していたところの本件旧館部分を含む建物全部を使用して営業し、なおその代表者には、昭和五〇年三月忠太郎の娘婿である末次茂が忠太郎に替つて就任して現在に至つていることが認められる。
2 成立に争いのない甲第二、第三号証、当審における控訴会社代表者末次茂尋問の結果により真正に成立したと認める同第三六号証中添付の写真、原審証人近岡巌・同末次忠良(第二回)の各証言、原審における控訴会社代表者末次忠太郎尋問の結果(第一回)及び弁論の全趣旨によれば、訴外会社旅館部の使用建物は、もと、登記簿上一筆の建物であつたが、昭和三九年二月二八日火災に遭い、原判決別紙見取図記載の「火災焼失部分」及び「なぎさ園買入部分」に相当する部分が火災により焼失したため、同年三月頃同図記載の「なぎさ園買入部分」を応急的に改築して旅館営業を続け、同年四月一七日火災による一部焼失や構造変更等を理由として表題部の変更登記手続をなし、昭和四二年一月九日に至つて初めて一部取毀を理由として本件旧館部分のみを表示するように表題部についての変更登記手続をしたこと、一方、控訴会社は、同年一月頃本件応急建物部分を取壊したうえ、原判決別紙見取図記載の「火災焼失部分」及び「なぎさ園買入部分」に本件新館を建築し、同月一七日控訴会社を所有者として所有権保存登記手続をなしたこと、本件旧館部分は、訴外会社旅館部で使用していた当時も、控訴会社が使用するようになつた後も、旅館建物の正面玄関・事務室・客室の一部・居間等からなり、本件応急建物部分は、本件旧館部分の後側に接続する部分で、調理室・客室の一部等に使用され、右旧館部分との間に防火壁が存するのみであることが認められ、この事実から、旅館営業としては、本件旧館部分と本件応急建物部分とは分離して考えられないほど緊密な関係にあつたものということができる。
3 証人船守清史の証言(原審第一回)により真正に成立したと認める乙第五、第一九号証、同証人(原審第一、二回、当審)及び原審証人森田豊美の各証言(ただし後記措信しない部分を除く。)によれば、訴外会社の代表者末次忠太郎は、昭和四〇年五月頃訴外会社の税務署に対する申告事務を担当していた船守清史に対し、「訴外会社が開発促進法の適用を受けるためには青色申告の承認を受ける必要があるが、現在旅館営業については右の承認が得られない状況にあるので、この際旅館部を切離して独立させ、訴外会社が青色申告によつて納税できるようにしたい。そのため旅館部を分離して新会社を設立してほしい。」という趣旨の依頼をし、これに対して船守は、「訴外会社から旅館部を分離独立させるとすると、引継ぐべき建物の帳簿価額が時価よりも非常に低いので、これを時価で譲渡したことにすると、訴外会社に差額についての譲渡益を生じ、相当な額の法人税を納める必要が生ずる。建物以外の物件については、時価と帳簿価額に著しい差がないからそんな心配はない。」旨説明したこと、次いで同年六月頃忠太郎の長男忠良が船守を訪ね、「訴外会社旅館部の資産負債を全部同年三月三一日現在の帳簿価額で新会社へ引継いで欲しい。」と依頼し、船守は、右同日現在の本件建物全部を含む旅館部の資産負債全部を引継ぐこととして、前記のとおり同年六月二三日控訴会社の設立手続をしたことが認められる。
証人船守清史(原審第一、二回、当審)は、訴外会社を分離する手続を依頼された際に、訴外会社の資産負債のうちどの部分をどのように評価して新会社である控訴会社に引継ぐかという点に関する指示を全く受けていなかつたが、同人が資産負債全部を帳簿価額で引継ぐものと理解して手続をした旨供述し、原審証人森田豊美及び同末次忠良(第二回)も右供述に副う供述をしているが、このようにあいまいな情況下で、会社を分離して新会社を設立するという重大な手続が行われたとは到底考えられず、右各供述部分を措信することはできない。その他右認定に反する甲第二四号証、乙第一九号証、証人末次忠良(原審第一回、当審)、同末次忠太郎(当審)・原審における控訴会社代表者末次忠太郎(第二回)の各供述部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
4 成立に争いのない乙第一六号証の二ないし一一、原審証人押本祐次の証言により真正に成立したと認める同第一七号証、右証言、原審証人末次忠良(第二回、一部)・当審証人押本祐次・同末次忠太郎の各証言によれば、訴外会社が昭和四二年五月頃から業績不振により倒産し、同年八月頃債権者会議がもたれ、同年一二月中旬頃整理計画が決定されたが、その頃債権者らによつて組織された債権整理委員会の委員であつた押本祐次が末次忠良に対し、訴外会社の貸借対照表の資産の部に、登記簿上同会社の所有となつている本件旧館部分が記載されていない理由を尋ねたところ、忠良は、昭和四〇年三月三一日現在の訴外会社の貸借対照表を示して、「林業部と旅館部の貸借対照表は昭和三九年九月頃から分割されていて、控訴会社の設立に当つては、旅館部の資産負債全部がそのまま控訴会社に引継がれており、本件旧館部分はその登記名義に拘らず控訴会社の所有である。」旨説明したことが認められ、右認定に反する甲第二四号証の記載部分、原審証人末次忠良(第二回)の供述部分は、前顕乙第一七号証の記載に照らして、たやすく措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
5 前顕甲第二、第三号証、同第三六号証のうち説明書及び土地賃借証書、当審における控訴会社代表者末次茂尋問の結果により原本の存在及び成立を認める同第三五号証、当審証人寺尾修の証言及び右尋問の結果によれば、本件旧館部分を含む本件建物の敷地の大部分を占める皆生字温泉二〇三五ないし二〇三九番の土地はもと訴外会社が皆生温泉土地株式会社(後に皆生温泉観光株式会社に商号変更)から賃借していたが、昭和四一年二月八日右土地全部を控訴会社が右株式会社から賃借し、以来右借地全部に対する賃料を控訴会社が支払つていることが認められる。
6 控訴会社が昭和四〇年七月五日付で鳥取県知事宛に提出した旅館業営業許可申請書(原本の存在及び成立に争いのない甲第六号証および乙第一号証の二はその写である。)には、建物面積を一、四五二・八四平方メートル(これは当時における本件建物全部の面積である。)、その所有者を控訴会社とする記載がなされていることは当事者間に争いがない。そして、右甲第六号証によると、「営業用の土地建物が他人の所有である場合はその所有者の承諾書」と印刷された下の空白に「自己所有」とペン書きされており、この部分の書体が他のペン書き部分のそれと異ることが認められるところ、控訴会社は、右「自己所有」との文言は、提出先である米子保健所の係員が好意的に記入してくれたものであると主張し、証人寺尾修(原審、当審)は、右文言を記載しないで申請書を提出したところ、建物が誰の所有かという点について質問を受けないまま受理された旨供述するが、協議官の質問に対しては「申請書は私が米子保健所へ持参しましたが、末吉さん(米子保健所の係員)に建物が自己所有である旨回答したかどうか記憶がありません。」と述べていること(原審証人寺尾修の証言により真正に成立したと認める乙第九号証)に照らして、右供述部分はたやすく措信しがたく、むしろ前記控訴会社と訴外会社との関係から訴外会社の承諾書を持参しようと思えば容易に可能であつたと推認できるのに、前記甲第六号証の記載及び弁論の全趣旨から寺尾がこれを持参しなかつたものと認められることに照らし、寺尾自身が当時本件建物全部が控訴会社の所有であると考えており、係員の質問に対してその旨答えた結果、前記のとおりの記載がなされるに至つたものと認めるのが相当である。
7 控訴会社が本件建物全部を訴外会社から譲受けたとして毎年税務会計処理をし確定申告をして来たこと、他方、訴外会社においても、控訴会社設立以後は、本件建物全部を控訴会社に譲渡したとして毎年税務会計処理をし確定申告をして来たこと、訴外会社が被控訴人署長に提出した同会社の昭和四〇年四月一日から昭和四一年三月三一日までの事業年度の法人税確定申告書添付の減価償却資産の償却額の計算の明細書によると、同会社所有の建物は、昭和四〇年五月に完成した境港市の工場及び事務所等が存するのみで、本件建物が除外されていることは、当事者間に争いがない。
以上の事実を総合すれば、本件旧館部分は、控訴会社の設立に際し本件応急建物部分とともに訴外会社から控訴会社に譲渡されたものと認められ、右認定に反する甲第二四号証の記載部分、原審証人末次忠良(第一、二回)・同森田豊美・同寺尾修・当審証人寺尾修・同末次忠太郎・原審における控訴会社代表者末次忠太郎(第一、二回)の各供述部分はたやすく措信しがたい。
もつとも、
1 甲第四号証(昭和四〇年六月二三日付不動産売渡契約書)には、訴外会社から控訴会社に対し本件応急建物部分のみを売渡すとの趣旨の記載があり、また甲第五号証(昭和四二年一一月一日付契約書)には、訴外会社が控訴会社に対し本件旧館部分を賃貸するとの趣旨の記載があるが、証人岡野毅(原審、当審)の証言により真正に成立したと認める乙第八号証、右証言、証人寺尾修(原審、当審(一部))・同末次忠太郎(当審)の各証言、原審における控訴会社代表者末次忠太郎尋問の結果(第一、二回)によれば、右各書面はいずれも、昭和四三年八月頃当時の控訴会社及び訴外会社の代表者であつた末次忠太郎が寺尾修に指示して、日付を遡らせて作成したものであることが認められ、右認定に反する当審証人寺尾修の供述部分はたやすく措信しがたく、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。また、甲第二八号証(家賃用通帳)には、控訴会社が訴外会社に対し昭和四二年一一月から毎月末日に家賃を支払つた旨の記載があり、同第二九号証(長期貸付金用通帳)には、訴外会社が控訴会社に対し右同月から毎月末日に右家賃と同額の借受金の返済をした旨の記載があるところ、当審証人寺尾修・同末次忠太郎・原審における控訴会社代表者末次忠太郎(第二回)は、控訴会社設立後家賃を取らないでその営業実績をみて来たが、十分やつていける見込がたつたので、昭和四二年一一月から家賃を徴し、これを控訴会社の訴外会社に対する貸付金と相殺することとし、昭和四三年頃右二通の通帳を作成し、以後付け落ち分を後にまとめて記帳したことがあるのを除き、原則としてその都度記帳して来た旨供述するが、前顕乙第五、第八号証、証人船守清史(原審第一回、当審)の証言によれば、昭和四三年六月まで訴外会社の経理事務を担当していた船守清史は、家賃用通帳及び長期貸付金用通帳があることを知らず、また、訴外会社が控訴会社から家賃を徴する扱いをしていることを昭和四四年二月まで知らなかつたこと、一方、船守の後を引継いで昭和四三年七月から訴外会社の経理事務を担当した岡野毅は、その頃家賃の額が相当であるかどうかについて相談され、また、家賃と長期貸付金とを相殺して処理するために、同年八月頃寺尾修に指示して、昭和四二年一一月分から昭和四三年八月分までの振替伝票を作成させたこと、原審証人森田豊美の証言によれば、訴外会社の経理責任者として昭和四三年二月末頃まで勤務していた同人が、本件旧館部分の賃貸借のことを知らなかつたこと、前顕乙第一六号証の二ないし一一、同第一七号証、成立に争いのない同第一五号証によれば、訴外会社の昭和四二年四月一日から昭和四三年三月三一日までの事業年度の決算報告書に本件旧館部分に対する賃料収入が計上されていないこと及び控訴会社が訴外会社の債権者に対し連帯債務者として、昭和四三年八月から約四、二〇〇万円の債務の分割弁済をなすことになつていたこと、がそれぞれ認められ、これらの事実を総合すると、前記各供述部分はにわかに措信しがたく、むしろ甲第二八、第二九号証の各通帳は、前記甲第四、第五号証の各契約書とほぼ同時期に税金対策のために作成された疑いが濃厚であるというほかなく、甲第四、第五、第二八、第二九号証があるからといつて、前記認定を左右するものではないと言うべきである。
2 控訴会社の帳簿によると、控訴会社が譲受けたとする本件応急建物部分の譲受価額は五四一万五、八三九円であり、これは訴外会社における昭和四〇年四月一日現在の本件建物全部の帳簿価額と同額であること、本件建物全部の固定資産税評価額は一、六〇七万〇、八〇〇円であることは、当事者間に争いがないところ、控訴会社は、「本件建物全部の時価は本件応急建物部分が約六〇〇万円、本件旧館部分が約二、五〇〇万円、合計約三、一〇〇万円であつて、訴外会社がかかる価値ある建物を僅か五四一万五、八三九円で控訴会社に譲渡できるはずがない。」旨主張する(被控訴人署長の主張する売買価額は結局九九一万五、八三九円である。)が、資産を時価より低い帳簿価額で譲渡することは、税法上低額譲渡として売買の当事者につき寄付金あるいは受贈益の認定がなされる場合があるに止まり、特に法律上の制約を受けるべき事柄ではないこと、前認定の控訴会社の設立経過及び控訴会社と訴外会社とが代表者を同じくするいわゆる同族会社であること等に鑑みると、本件建物全部の時価が控訴会社主張のとおりであつたとしても、これを時価よりも著しく低廉な価額で控訴会社に譲渡することは十分ありうることであつて、これをもつて前記認定を左右しうるものではない。
3 また控訴会社は、「(イ)本件旧館部分の所有者は訴外会社である旨登記されており、訴外会社はその所有者としてこれを昭和四〇年一一月一一日大山産業株式会社に対し、木材取引契約締結に伴い担保に提供しており、また、昭和四一年控訴会社が本件新館を建築するに当り中小企業金融公庫から資金を借受けた際にも同様担保に提供していること、(ロ)訴外会社が昭和四二年七月頃倒産したため、訴外会社の債権者会議が開かれ、同年一二月頃の債権者会議において、本件旧館部分の所有権が訴外会社にあることを認め、控訴会社が訴外会社の債務を引受けるなら本件旧館部分を処分しないことにしたことなどの事実から、本件旧館部分が訴外会社の所有であることは明らかである。」旨主張する。
前顕甲第二号証によれば、本件旧館部分の所有者が訴外会社である旨登記されており、また右部分が控訴会社主張のとおり、大山産業株式会社及び中小企業金融公庫に対しそれぞれ担保(抵当権)に供されていることが認められるが、同号証によれば、本件応急建物部分についても登記簿上所有者は訴外会社とされたままで、ついに控訴会社に所有権移転登記をすることなく、前記のとおり取壊されていることが認められ、また右各抵当権設定のうち中小企業金融公庫に対する分は、債務者が控訴会社であり、かつ、担保物件の登記名義が訴外会社となつている関係上、これを改めないかぎりは訴外会社が担保を提供する形式をとるほかないのであるから、本件旧館部分が訴外会社の所有であることの証左とするに足りない。次に大山産業株式会社に対する分については、登記官署作成部分の成立につき当事者間に争いがなく、その余の部分につき証人末次忠良(当審)・同押本祐次(原審、当審)の各証言により真正に成立したと認める甲第一八号証(商取引ならびに根抵当権設定契約書)及び右各証言によれば、甲第二号証の大山産業株式会社に関する前記登記は、右甲第一八号証を登記原因証書としてなされたものであるところ、同号証の一部を自ら記載した押本祐次は、本件旧館部分の所有者が控訴会社であるとの認識のもとにその所有権を控訴会社と記載したが、調印の際に訴外会社の方でこれを抹消して、所有者を訴外会社と訂正したことが認められるところ、右訂正の理由については、真実の所有者が控訴会社ではなく訴外会社であるためであるとも理解できるが、一方、真実の所有者は控訴会社であるが、登記簿上所有者が訴外会社となつていて所有者を控訴会社としたのでは抵当権設定登記ができないためであるとも理解できる。前記のとおり、控訴会社及び訴外会社の代表者が同一人で、両会社ともいわゆる同族会社であることを考えると、右のような理解は単に想像として可能であるというにとどまらず、十分現実的なものであると言わなければならない。従つて、前記登記簿上の各記載及び担保設定の事実は、真実の所有権の帰属についての前記認定を左右するには足らないと言うほかない。また、訴外会社の債権者に対して末次忠良が本件旧館部分は控訴会社の所有である旨説明したことは既に認定したとおりであり、前顕乙第一七号証によれば、訴外会社の債権者会議においては、右説明により本件旧館部分が控訴会社の所有であるとの前提に立ちながら、控訴会社に訴外会社の債務につき連帯保証させたものと認められるのであつて、右事実は前記認定を毫も左右するものではない。
4 控訴会社は、末次忠太郎は船守清史が本件旧館部分をも訴外会社から控訴会社に譲渡したことにして控訴会社の設立等の手続を了したことを知るや、直ちに船守を詰問するとともに、岡野毅に対し右部分が訴外会社の所有であることを前提とした修正申告をするよう依頼した旨主張し、証人末次忠太郎(当審)・同船守清史(原審第一、二回、当審)・同岡野毅(原審)・原審における控訴会社代表者末次忠太郎(第一、二回)は右主張に副う供述をするが、右各供述部分は前認定の諸事情に照らし、いずれもたやすく措信しがたい。
以上の次第で、被控訴人署長が、控訴会社が本件旧館部分を訴外会社から譲受けたことを前提として、控訴会社の訴外会社に対する賃料支払を否認したのは正当であつて、この点に関する控訴会社の主張は理由がない。
(二) 営業権償却分の否認の適否について
当裁判所も被控訴人署長が控訴会社のなした営業権の償却分を否認したことは正当であると判断するが、その理由は原判決三一枚目裏一行目から三三枚目裏三行目までの説示と同一であるから、ここにこれを引用する(ただし、原判決三一枚目裏六行目の「解されている」を「解される」に、同裏末行の「企業会計原則」を「昭和四九年八月三〇日改正前及び改正後の企業会計原則」に、同三二枚目表九行目の「ことからすると、」を「ことからすると、法人税法においても」にそれぞれ訂正する。)。
第三、結論
以上の次第で、被控訴人局長が本件第一ないし第三年度分についてなした審査請求棄却裁決の取消を求める控訴人の請求はいずれも理由がなく、また、被控訴人署長が本件第一ないし第四年度分についてなした各更正処分及び本件第三、第四年度分についてなした各過少申告加算税賦課処分には控訴人主張の違法はなく、右各処分はいずれも正当であり、控訴人の本訴請求をいずれも失当として棄却した原判決は相当であるから、本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 加茂紀久男 裁判官 瀬戸正義)